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[小説 時] [1 記憶]

1 記憶

 ようやく、長かった梅雨が明けた。

 橋を渡り切った後の街へ向かう道は、緩やかな下り坂で、少しばかり左へ曲がり加減だったが、見通しは良く、道路の両側には几帳面に伸び揃った稲の葉が、ひたすら青く広がっていた。

 いかにも、けじめのない梅雨の季節が去って、その日は、まだ、煎るような夏の陽が、何時もの記憶を呼び戻すまでの、良く晴れてはいるが充分に控え目な暑さと云った、貴重な一日だった。

 午を過ぎたばかりのその道を、一台の自転車が街に向かって走っていた。

 過ぎてしまった季節の記憶を引き摺った儘、一枚の上着を諦め切れなかった自転車の人が、後悔の汗を拭った頃、やはり、一台の白い車が橋を渡り切って、下り坂に掛かろうとしていた。

 閉め切った車の中の黒い服の男は、窓を開けようとして手を右に伸ばした。そして、静かに開け放たれた窓からは、青く透明な風が勢い良く車の中に吹き込んで来た。ステアリングを左手から右手に持ち換えて、咽喉を締め付けていたネクタイを弛めようとした時には、自転車を左前方に見ることができた。

 まだ、かなりの距離があった。

 その時、助手席の上着のポケットの携帯電話が、転がるような音を立てた。視線が音に釣られて助手席の方に移動すると、車も釣られるように左に振れた。

 ほんのわずかな時間だった。しかし、自転車は、もうそこにあった。

 慌ててハンドルを右に切った。だが、間に合わなかった。

 大きな音と、そして、重く鈍い振動が左側のフェンダから伝わって来た。

-Aug/21/1997-

・・・つづく・・・



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