[家康の関ケ原][関ケ原合戦関係略年譜][慶長3年] |
慶長3年 |
豊臣秀吉、伏見城で逝去(62歳)。子秀頼が後を継ぐ。 | 8月18日 辛未 1598年 9月18日 |
徳川家康・前田利家、朝鮮に使者を送り、講和を急ぎ、帰国するよう命じる。また、毛利秀元・浅野長政・三成を博多に送り、朝鮮派遣軍の撤収諸業務に当たらせる。 | 8月25日 戊寅 1598年 9月25日 |
徳川家康・前田利家ら、豊臣秀頼に忠誠を誓う。五大老、五奉行と秀頼に忠誠を尽くす旨の誓書を交わす。 | 9月3日 丙戌 1598年 10月3日 |
上杉景勝、豊臣秀吉の訃報の知らせを受け、会津より伏見に来たり、秀頼に謁する。 | 10月26日 戊寅 1598年 11月24日 |
朝鮮派遣軍の撤収が始まる。 | 11月 |
島津義弘が博多に到着して、朝鮮派遣軍全軍の撤収が終了する。 | 12月10日 辛酉 1599年 1月6日 |