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[小説 時] [8 点滴]

8 点滴

 患者用のベッドに、姉は横になった。看護婦が姉の腕に一本の注射を打った。それから暫くの間、しかし、眼を閉じることができなかった。眼を閉じると、目が回って息が詰まるようだった。

 目を醒ました時にも、看護婦は傍に立っていた。

 もう少し休んだ方が良いと云う言葉も、姉の耳には入らなかった。姉は、起き上がった。そして、父が着くまでの間、思考を停止した儘の頭は、眩暈に悩まされることになった。様々なものが目の前に現れ、その多くは篩に掛けられたように、円弧を描きながら視界の外へ弾き出され、篩に残ったものは、次第に肥大しながら霧散して行った。同じことが、際限なく繰り返された。

 父と兄が、揃って病院に着いた。

 看護婦は白衣を手渡しながら、それを羽織り手を消毒するように指示すると、一度部屋を出、暫くして医者を連れて戻って来た。

 医者は、姉にした説明を父に繰り返しながら、四人を従えるように部屋を出て、「集中治療室」と書かれた扉の前で立ち止まった。医者は、他愛のない幾つかの注意を三人に与えると、徐ろに扉を開けた。そこは狭い廊下のような部屋で、右側には肩程の高さに小さな窓があり、その奥には何人かの看護婦がいる様子だった。医者はその窓に向かって声を掛け、そして、二つ目の扉を開けた。

 扉を開けると、両側に三台づつのベッドがあり、それを取り囲むように、医療器具が立ち並んでいた。医者は、その左側のベッドに三人を案内した。そこには、口を呼吸器で塞がれ、腕に点滴の針を差し立てられた母がいた。

 母は、眼を閉じ、時折、呻き声ともつかない声を立てるか、痙攣したように身体を震わせる以外、殆ど動こうともしなかった。

 姉には、医者の説明にも拘らず、単に眠っているだけのことのように思われてしかたがなかった。何度か声を掛け身体を揺すりながら、目を醒ましてくれることを願った。

 ふと、身体を動かすことがあった。しかし、それが姉の執拗な問い掛けに対する反応では無いと云うことは、誰の目にも明かだった。後には、母の口の中へ規則正しく空気を送り込む人工呼吸器の機械的な音だけが残った。

 父は、耐えようとした。兄は、じっと、耐えた。しかし、姉は、耐えられなかった。

-Aug/23/1997-

・・・つづく・・・



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