[小説 時] [27 三方] |
27 三方
葬儀の準備は、身内の者がいなくても、整ってしまうのが通例だった。連絡先の洗い出し、身内でなくても済ませられる誰彼への連絡、葬儀社の選定と手配、暦をめくっての日取りの選定、初穂料の額、・・・部屋の割り振り、座布団の数、食事の量、・・・場所、席次、挨拶、受持ち、・・・。母が病院から帰って来た時には、休む部屋も場所も、既に用意されていた。母は、四人の男に担がれながら車を降り、延べられていた蒲団に横になった。枕元には、父が嘗つて使ったと云う勉強机が置かれていた。蔵の中で半世紀もの間、埃を被っていた代物だった。 母が床に就くなり、刈り取った一握りの稲を載せた三方を姉が、幾つかの野菜や果物を載せた三方を叔母が運んで来た。 母は、帰って来れば何時もそうしてくれたように、食事や風呂の支度を、もう、してくれることはないと云うことが、不思議で堪らなかった。今にでも起き上がって、・・・熱目の風呂を、・・・。だって、お母さん、・・・昨日は入れなかったんだよ、・・・。 後は、何もすることがなかった。こんな時には、むしろ、じっとしていることの方が耐えられないものだと云う、簡単な真理さえ理解しようともしない連中が、いかにも慌ただし気に他人の家の中を駆け摺り回っており、家族は、只、それを羨まし気に眺めているだけだった。 葬儀社の社員が着いたのは、それから間もなくのことで、簡単な挨拶の後は、殆ど一部の隙もない程の立ち働き振りだった。柩が母の休んでいる部屋に運び込まれた。庭に面した三つの部屋を仕切っていた襖や障子戸は、ことごとく取り払われた。広くなった部屋には幔幕が張り巡らされ、床の間の前には祭壇が組まれ、その両側には花が飾られ、濡れ縁の先には弔いの客のための玉串案が設えられた。庭には天幕が張られた。その下に机と椅子が並べられ、幾つかの電球が吊された。玄関の両側には花輪が並べられ、提燈が下げられた。 大方の指図が済むと、主人らしい一人は父と叔父を交えての打ち合せ、・・・それが終わる頃には、成すべきことの全てが終わると云う寸法だった。 そして、それが、生き残ってしまった者達の大袈裟で滑稽な、死者に対する贖罪の儀式の始まりだった。 葬儀社の社員や手伝いの人達が帰った後は、誰もそれぞれの位置に、父と叔父は椅子に、姉と叔母は母の前に、本家の長男は積み重ねられた座布団を椅子代わりにして、座り込むと、殆ど口を利かなかった。只一人、姓が違うと云うことで、いかにも陰気な一角に顔を出す謂れのない兄だけが、会社から遅れて応援に駆けつけて来た数人を相手に、動き回っていた。暫くして、何か作りましょうと言いながら叔母が台所に立ち、町会長と打ち合をして来ますと言いながら本家の長男が立上がった。 -Sep/14/1997-
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