[小説 時] [30 玉串] |
30 玉串
一旦、それぞれの部屋に引き取っていた親族達が、通夜の席に着き始め、そして、全員が揃うと、それまでの猥雑な話が、ふと、一斉に止む瞬間があった。神主は、いかにも永い間それを待っていたかのように、開けられていた奥の襖からゆっくりと進み出て、柩の前の席に座った。既に、陽は落ちていた。昼間の陽気も鎮まりつつあった。 神主の声が流れ始まると、通夜の客は玉串を持って列を作った。一礼の度に、親族達の頭は波を打った。 電灯に明りが付いた。それまでさえ充分に長かった一日は、陽が落ちてからも、なかなか終わろうとはしなかった。人の列は、まだ続いていた。 玉串の奉納が済むと、大半はその儘帰って行った。務めを終えた神主も、痺れに耐えていた親族達も、一様に安堵の溜息を付きながら席を立つと、空いた席は次々に片付けられ、膳が整えられた。 ようやく、抑え付けられていたものを憚りなく吐き出すことができるようになった人達の声は、酒や食べ物の力も手伝って、取り留めがなく、賑やかで、それでいて虚ろだった。手を振り上げ、身体を揺らし、・・・何が面白いのだろうか、口に泡し、顔を紅潮させ、・・・服を脱いでしまう者、膳を倒してしまう者、座った儘寝てしまう者、中には横になっている者さえいた。 そうして、祭は続いた。 伯母も娘も息子達も、簡単に食事を済ますと、長旅に着かれていたのだろう、部屋に引き取って行った。疲れを知らずに駈け回っていた子供達も、二階に昇れば下の騒ぎなどはものかは、すぐに静かになった。 顔見知りの社員の一人が最初に立ち上がり、そして、叔父が続いた。そうでもしなければ、この儘、何時までも終わることなく続くような気がしていた。しかし、誰かが先鞭を付ければ、その後は潮が引くようだった。引き摺られるように、まず彼の同僚達が席を立ち始め、近所連が、近在の親族達が、そして賄いの人達も、丁度櫛の歯がこぼれ落ちるように、帰って行く、・・・。 誰もいなくなると、部屋は不安な程に広くなる、そこに、いかにも模糊とした、それでいて人を圧倒するような匂いの混じった澱が残る、・・・それは、なかなか消え去ろうとはしない、・・・。 誰のものとも知れない、厄介な忘れ物、・・・。 -Sep/14/1997-
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