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[小説 時] [34 抽出]

34 抽出

 暑い日だった。

 朝から、昨日の余韻を持った儘、親族や近所の賄いの人達が集まって来た。

 誰もが陽気だった。食事があり、酒があり、大勢が集まれば、何故そうなったのかには何の関心もなく、それは祭だった。そして、祭は楽しいことに違いなかった。このために仕事を中断することができた。或いは、貴重な休日となった。

 しかし、祭を始める前に少しの辛抱が必要だった。神主が席に着いた。

 その神主が祭壇の前に座ると、一座は静かになった。蝉が鳴いた。庭先に見える小高い杉の頂の梢は、全く動かなかった。風は沈黙した儘だった。暑かった。

 神主の祝詞は坊主の読経よりも遥かに短い、それだけが頼りだった。にも拘らず、一旦始まってしまえば、時間は遅々として進まない、・・・。此処では何もかもが、どんなことがあっても決して急ぐことはなく、たっぷりの時間と忍耐を費やしながら、のんびりと、ゆっくりと、進んで行く、・・・。

 暫くして、玄関に大きな車が止まり、開けられたドアから三人連れが降り立った。それが誰か、そこにいる者で知らない者はなかった。

 三人は榊を受け取ると、陽の光を遮る物もなく、ひたすら順番が来るのを待っていた人達の頭越しに、その儘玉串案の前に案内され、頭を下げた。

 一人は父の良く知っている老人で、一人は運悪く母と同じ道を走っていた男、そして、一人は高校の先輩だった。三人の背中に集中された視線の重圧も、彼らを動揺させることはできないようだった。少しの淀みもなく義務を果たすと、エンジンをかけた儘で待機していた車に戻って行った。

車の音が小さくなると、思いだしたように蝉の声が戻ってきた。

 その後は、殆ど何も覚えていない、・・・只、あるのは前後の脈絡を失った細かい記憶だけだった。

 柩が祭壇から降されたこと、保冷剤のために母は真白だったこと、伯母が執拗に閉じようとしたこと、にも拘らず口は開いた儘だったこと、石を手渡されたこと、拭った汗が驚く程冷たかったこと、車に乗って火葬場に向かったこと、朱い炎が小さな四角い窓の奥に見えたこと、頭に衝撃のようなものを感じたこと、柩の中から見える風景と同じものが眼の前にあったこと、・・・そして、気が付けば、そこは嘗つての自分の部屋だった。

 狭いが、しかし、充分に消化し切った部屋だった。本も、レコードも、机も、具合いの悪い抽出も、その儘だった。

-Sep/21/1997-

・・・つづく・・・



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