[小説 時] [38 手術] |
38 手術
年に何度か帰っても、殆どは車で通り抜けるだけだった。その度に、車から見える街は少しづつ変わっていることに気付いていた。しかし、車を捨てて、一歩表通りを外れると、変わらないものばかりが目に付いた。学校の帰りに立ち寄るのが習慣だった本屋、学校の近くの小さな学生相手の食堂、無銭飲食で捕まったことのあるラーメン屋、大きなスピーカを自慢していた友達の家、欲しかった外盤を取り寄せてくれたレコード店、父と一緒に行けば必ず土産の付いた映画館、・・・細い裏通りにさえ張り巡らされた用水路、懐かしい落書きが残った儘の鳥居、誰もいなければ格好の待ち合わせ場所だった野球場、・・・。 汗が滴って落ちた。 母は街に向かっていた、車が追うように坂を下り始めた、母は、背後から迫って来る車の音に気付いていただろう、しかし、それだけのことで身に危険を感じるとは思えない、・・・汗を額に浮かべながら、最後の昇り坂を目指していた、そして、事故は起きた、・・・母はその時、何が起きたのかを、それが自分に拘りのあることだと云うことさえも、知ることはできなかったに違いない、・・・暑い盛りの午後二時、・・・。 車を運転していた男の名前を、・・・何故だろうか、どうしても思い出せない、・・・。 衝撃は運転席にまで伝わって来た、男も、それがどう云うことなのかを認識するまでには、かなりの時間を必要としただろう、・・・そして、慌ててブレーキを踏み込んだ、車は大きな音を立てて止る、男は車を降りる、そこにあるものを見ることはできだろうか、・・・母を車に乗せると病院に向かった、・・・一人で?・・・簡単なことではない、身体中が痺れてる、その上、動かない人間はかなり扱い難い筈だ。 白昼の出来事だ、誰かが見ていた、警察へ連絡する、・・・いや、単なる接触事故で、運転手が怪我人を運ぼうとしていると考えたとすれば、必ずしも通報するとは限らない、拘わりを嫌う人は多い、・・・通報があったかどうかは、警察で聞いてみれば分かる、・・・。 病院に着いた、三十分後だ、あそこまでならそれ以上はかからない、医師は事故の様子を聞くだろう、院長に報告する、診察がすぐに始まる、外傷は殆どない、心肺も機能している、全身のレントゲン撮影・頭部の断層写真撮影を指示する、・・・指示が終わると、集中治療室へ移して、念のために人工呼吸を行う、・・・念のため?・・・何故?・・・心肺は機能していたのに?・・・いや、それは当然の措置だ、それだけが頼りだったのだから、・・・それよりも先することがあった、まず看護婦に身元を調べさせる、身元はすぐに分かる、自宅へ連絡するよう指示する、・・・フィルムを待つ、・・・。 しかし、初見で手術が必要かどうかの判断はできた筈だ、・・・何故連絡が遅れたのだろう、・・・遅れた訳じゃない、その時、姉は、そう、いなかった、買物に出掛けていた、それじゃ、母は何の用事で出掛けようとしたのだろう、姉が買物を済ませて帰ることを、母は知らなかったのだろうか、・・・。 母は何時頃出掛けたのだろう、・・・あの場所までは自転車なら十分程の距離だ、とすれば、一時半過ぎ、・・・姉は四時前に帰っている、何故帰りを待てなかったのだろうか、何時もならそうする筈なのに、・・・。 現像の済んだフイルムが届けられる、患者の身元を知って院長自らが指揮することになる、最初に対応した医師・撮影技師を交えての検討、血腫が確認できる、出血量はかなり多い、手術の段取りを決める、・・・各部の骨折はそれ程ひどくはない、止血剤・頭蓋内圧降下剤等の投与を始める、・・・そして、姉が着いた、・・・。事故から二時間、・・・。 手術の準備を始める、・・・二時間半後、父と兄が着いた、容態を説明し手術の了解を得る、・・・手術の準備が整う、外科医はカルテとフィルムを確認するだろう、スタッフを集めての打ち合せ、器具の点検、・・・そして、手術は開始される、受傷後三時間、午後五時、・・・。 確かに、何の問題もない、・・・。 -Oct/4/1997-
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