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[小説 時] [77 瞬間]

77 瞬間

 部屋を出た。

 雨が降り始めていた。しかし、前を歩いている人が、幾度も空を見上げながら、いよいよ決心したかのように傘を開くことさえなければ、駅に着くまで気付かなかったに違いない、・・・。部屋に戻れば傘があることは分かっていた。しかし、その時既に駅に向かって駈け出していた足を止めることはできなかった。自分は賭けた。・・・雨は止む、止むことはなくても濡れる程のことはない、会社に着く頃には無駄な荷物を恨めしく思う人達の中にいるだろう・・・。しかし一方で、何の裏付けもないそうした判断を、後悔することになるかもしれないとも考えていた。

 地下鉄の入口に辿り着いた時には、部屋に戻るための数分を惜しんだ結果が目の前にあった。雫を垂らした他人の傘が不愉快だった。・・・それは、誰にでもあるものが自分にはないと云う不安だった。降りることができさえすれば、すぐにでも降りてしまうであろう賭けを、相変わらず続けている自分に対する不安だった。雨はどうだろうか、・・・だが、今から元に戻ることはできない、・・・。

 出口は、激しい雨のために外へ出ることを躊躇う客で混雑していた。傘も役に立たないような降りだった。

 そこでは地上を走る電車に乗っていた客と地下を走る電車に乗っていた客とに、明らかな差があった。外の様子を予め知っていた人達は、殆ど例外なく、すぐに傘を差して歩き出した。それに較べて地上の様子を知り得なかった人達には、目の前にある状況を把握するための時間が必要だった。内でも傘を持たない者の反応は様々だった。意を決して走り出す者、濡れることを厭わずに悠然と歩き出す者、様子を眺めながらひたすら待とうとする者、電話に向かって助けを求める者、・・・。

 小さい期待だったが落胆は大きかった。雨を遮るもの一つ持たない身にとって、残ったのは駈け出す瞬間を待つことだけだった。

 雨は呼吸している、何時か必ず息を吸い込む瞬間はある、それを待つ、そのためには、常に雨の様子を窺うことができる位置にいて、そして、決すればすぐに駈け出すことができる位置に、自分はいることが必要になる、・・・。

 だが、此処にいてはそれも難しい、・・・。

-Dec/18/1997-

・・・つづく・・・



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