本能寺・妙覚寺襲撃の謎 目次

その2

<中枢部分が軍勢に向けて
"本能寺へ向かう"と号令をかけた瞬間>



"本能寺へ向かう"くらいの命令は下した。
ここでもそれ以上のことは不明。
その後の事態の推移から帰納的にいくつかのことが推定できると思います。
先回り的に言えば、中枢部分は軍勢に向けて"上様(信長)を撃つ"とは絶対に言っていないということ。
これがここでのポイントになります。

機密性を要する軍事行動を行う場合、その指導部分は下部組織に対し箝口令をひく。
その具体例が秀吉の中国返しでの軍勢の動かし方で確認することが出来る 『ノート』 11ページ
明智家臣団中枢部分による軍勢の動かし方もこれによって類推することが出来ると思います。
また秀吉の例にみられるように万余の軍勢を動かすには、"御敵は摂津にあり"といったように目的地だけは明確にしなければならないとすれば、明智家臣団中枢部分も"本能寺へ向かう"と目的地を明確にして号令をかけたとみてよい 『ノート』 12ページ
想像をたくましくすると

信長様の命令により三河の家康様を成敗する。これよりその宿所本能寺へ向かう
と号令したと推定される。

惟任日向守の家臣団はまだまだ混成部隊的構成しか持ち合わせていなかったと考えてよい 『訂正・加筆』 45ページ
また、本城某のような傭兵も多かったはず。
そのような信頼しきれない雑兵達に対し"上様(信長)を撃つ"といったらどういうことになるか?
彼らがどういう行動に出るか予測が付きません。
もし"信長様を撃つ"と号令したならば、雑兵らは

"信長様を撃つんだってよ"
"光秀様は天下様になるんだってよ"
とかと言い合い、テレビの歴史大河ドラマに出てくるようなシーンになるでしょう。

ではどうして本城某は"(撃つのは)家康様とばかり存じ候"と書き残しているのか?
彼はつんぼさじきにされてしまったのか?

話を本筋へ戻します。
光秀と家康とは同格の武将と考えれば"殿(光秀)の令令により家康様を成敗する"とはならないでしょう。
明智家臣団中枢部分は"信長様の命令により三河の家康様を成敗する"と号令した。これを聞いた雑兵達は

"家康様を撃つんだとよ"
"え〜!、ほんとかよ。何でだ?"
"信長様のお気に障るようなことをなされたのか?"
"武田討ちで手落ちがあったのか?"
"ちょっと前、家康様が上洛されたって、オレ聞いたぞ"(本城曰く"家康様御上洛にて候まま")
"命令だからしようがねーだろ〜"
とかと会話を交わしたと思われます。
こうした会話をする中に本城某はいたのです。

しつこく引用しますが、本城某は"(撃つのは)家康様とばかり存じ侯"と書いています。
本能寺に討ち入る前、本城某ら多くの雑兵が"撃つ"とか"成敗する"といった言葉を耳にしていたことは確実です。
こうした状況をイメージすれば、

"(明智の)兵士達は、おそらく明智は信長の命令に基づいて家康を殺すつもりであろうと考えた(「イエズス会の日本年報」)"
とか
"明智乱の時は、東照宮は堺に御座す。信長は羽柴藤五郎に命じて家康に堺を見せよとて付けて遣す。実は害する謀りなりとぞ(「老人雑話」)"
とかと語る史料が残っていることを理解することが出来ると思います。
この二つの記録は先に記した状況を反映したサンプルと考えてよいと思います。

"今日より殿(光秀)は天下様にならせられる(「川角太閤記」)"などと触れ回るシーンは歌舞伎的デフォルメの世界。
どうしてそうまでして嘘をつくのかと怒りを覚えます。
リアリティーの欠如は救いようがない(世事にうとい私のような者がどうしてこんなことを言わなければならないんでしょうか?)

先に引用した「日本年報」の記事について「フロイス日本史」の訳者・松田毅一氏は"おそらく事実であろう"と書いています。
氏はそれ以上のことを書いていませんが、この記事を敷衍(ふえん)すれば必然的に"本能寺へ突入していった兵士達は必死になって家康の所在を探し求めた"となるでしょう。

(H9.10.26)

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