方向や距離などを把握するために、本能寺や妙覚寺・二条御所などの位置関係を図にしてみました。 (図中の文字・文字色や図形につきましては[凡例]をご覧ください)
当時の街路
当時の街の様子
丹波口・粟田口
六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国の皆道なり。左へ下れば、京へ出づる道なり。爰(ここ)を左へ下り、桂川を打ち越え、漸く夜も明け方に罷りなり候。
廿九日、丙戌、信長御上洛爲御迎、召具侍從(兼見息兼治)至山科罷出、雨降、未刻御入洛、御迎衆各可罷歸之由先ニ御案内之間、則急罷歸畢、[兼見卿記(別本)] 廿九日、丙戌、信長御上洛爲御迎、至山科罷出、數刻相待、自午刻雨降、申刻御上洛、御迎各無用之由、先へ御乱(森長定、乱丸)案内候(之カ)間、急罷歸了、[兼見卿記(正本)]
元本能寺
本能寺
現本能寺
妙覚寺・二条御所他
参考にさせていただきました。著者・編者・出版社及び関係者の方々に厚くお礼を申し上げます。