[資料 本能寺の変][参考資料] |
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二木 謙一著, 監修、KADOKAWA/角川学芸出版
光秀の伝記としては最も古いものであるが、書かれたのは江戸前期の元禄年間とされ、誤謬が多く史料としての価値は低いとされる。著者は不明。[明智光秀(高柳)]小和田哲男著、PHP新書、PHP研究所
日本史上、いくつもの政権交代があり、そのうちのかなりの部分は、クーデターや謀反である。謀反人は史上何人もいるのに、光秀ほど悪くいわれる人物は少ない。・・・ふつう、敗者には一種の判官びいきがあって、それなりの追慕の念というものがみられるが、光秀にはそれもない。やはり、秀吉人気にかき消されているとの印象を受ける。・・・本書は、・・・少しでも光秀の実像にせまることを目的としている。(同書より)桑田忠親著、講談社文庫、講談社
専門歴史学者の著述としては、故高柳光寿氏の『明智光秀』が、すでに吉川弘文館から出版されている。同書は、文献史料の考証にすぐれており、筆者も、これに負うところ甚大であった。本書[明智光秀]は、高柳氏のそれに次ぐ学究的著述として、これでも、新史料の紹介、文献の新解釈、歴史的推理の展開などの面で、さらに一歩を進めたつもりではいる。これは、後進の筆者として、当然、要望され、期待さるべきことであろうと信ずる。(同書より)高柳光壽著、人物叢書、吉川弘文館
光秀に関する文献は甚だ多い。けれどもそれらの大部分は文学書であって歴史書ではない。・・・本書は光秀の出身からその死に至るまで、ひと通り彼の伝記を記述したつもりである。・・・光秀の伝記は信長の行動を離れて記述することができなかった・・・。彼の行動が彼の意思だけによってなされたものではなく、信長の意思によって方向づけられていたからである。(同書より)二木謙一編、新人物往来社
明智光秀は謎の多い人物である。その根本の理由は、本能寺の変で主殺しという異常な事態をひきおこしたがゆえに、後世までさまざまな憶測や虚飾が加えられたことにあろう。私が[実務派型武将の栄光と転落]と題して、明智光秀とその時代についての概略を述べたのち、光秀の生涯における主要な問題点について、それぞれのテーマにふさわしい方々に執筆していただいた。(同書より)島津忠夫校注、『日本古典集成33 連歌集』所収、新潮社
ルイス・フロイス他著、村上直次郎訳、柳谷武夫編輯、『新異国叢書3』、雄松堂書店
松平家忠著、竹内理三編集『続史料大成 第19巻』所収、臨川書店
今井宗久著、『茶道古典全集 第十巻』所収、淡交社
狩野 永徳、小学館
宇野主水著、上松寅三編纂校訂、『石山本願寺日記 下巻』所収、清文堂出版
[変]当時は宇野主水は紀伊鷺森にあった。辻惟雄他編、『日本美術全集』、講談社
『ふるさと大津歴史文庫2』、大津市史編さん室企画編集、大津市役所
徳富蘇峰著、講談社学術文庫、講談社
岡本良一他編、新人物往来社
秋田裕毅著、創元社
中世史専攻でも考古学専攻でもない私が、信長と安土城を研究テーマの一つとして選ぶことになったのは、今から十年ほど前、安土城の遺構分布調査に駆り出された際、[貞享古図]と現状の遺構とが、何個所かで異なることに気づき、安土城に関するいくつかの通説に疑問をもつようになったからです。それ以来、無定見な思い込みよってつくられた虚構にまどわされることなく、可能な限り広い視野に立って、安土城と城下町の全体像を把握すべく努力してきました。(同書より)奥野高廣著、吉川弘文館
振屋裕恒著、自費出版
信長による[城割り・検地施行]の歴史的意義を検討する。この検討を通して、天正八年から十年へかけてのこの二年間余りが、日本社会が中世から近世へと変質していく過程の端緒であったことを確認する。そしてこの問題と天正十年に生起した[変]とを関連づけることにより、[本能寺の変]勃発の本質を[丹波武士団による検地反対一揆]と結論する。(同書紹介文より)『続群書類從 補遺三』所収、続群書類従完成会
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ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太編訳、中公新書328、中央公論社
ルイス・フロイスの著書[日本史]は、分量が尨大であるのみならず、その天分に恵まれた報告者としての素質が遺憾なく発揮されている点で、同僚の類似の記録の追随を許さぬものがある。・・・本書は同書のうち信長に関する記事の抜粋であるが、その生々しい十六世紀の記録は日本側の史料を補うところ多く、[信長公記]とともに原典ならではの迫力と精彩を放っていると言い得よう。(同書より)能勢市兵衛著、
柏崎三郎吉兵衛の物語を江戸幕府旗本の能勢市兵衛が書き留める。吉田兼見著、斎木一馬・染谷光広校訂、続群書類従完成会
京都吉田神社の神主で神祇官、吉田兼見による日記。亀岡市史編纂委員会編集、亀岡市発行 全8巻、本文編3巻、資料編5巻
川角三郎右衛門著、桑田忠親校注、『戦国史料叢書 第1 太閤史料集』、人物往来社
豊臣秀次に仕えた田中吉政の家臣川角三郎右衛門の作とされる。足利健亮著、NHK出版
過去(の)景観(地表の様子や行政境界や地名)の残片を、地図を見る経験とそれに裏打ちされた直感によって、的確に拾いだし、・・・その時代または時点の景観を一定の範囲で復元するのが、歴史地理学の基本的な仕事です。その仕事を進めていると、おのずから何故そのような景観が、[構築]されなければならなかったか、・・・過去にその景観を作った人びとの『地表経営』の意図まで読み解くことができ(ます。)(同書より)江岑宗左(逢源齋)著、『茶道古典全集 第十巻』所収、淡交社
暦の会編集、新人物往来社
大村由己著、『続群書類從 第20輯下 合戦部』所収、続群書類従完成会
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『続群書類從 第20輯下 合戦部』所収、続群書類従完成会
桐野作人著、学研M文庫、学習研究社
光秀は一個の自我と意識をもつ人間であると同時に、織田権力の根幹を支える老臣であり、国持の分国大名であった。光秀の主観的心理だけでなく、その客観的存在、・・・政治的な人間としての光秀を解剖しないことには、本能寺の変の真相に迫れないのではないかと思う。・・・。あらかじめ都合のよい史料だけで予定調和的に仮説を構成する傾向を排して、同時代の一次史料に基づいて客観的に検証し確定する必要がある。(同書より)太田 牛一著、桑田忠親校注、新人物往来社
織田信長の旧臣太田和泉守牛一が1610年(事件の28年後)、84歳の時完成した信長の一代記で、全十六巻。伝本は諸種あるが、牛一の自筆本として伝わっているのは、前田家所蔵の[永禄十一年記]一巻だけである。内閣文庫所蔵の[原本信長公記]は、原本ではなく、古写本であり、首巻を除く十五巻二冊本である。[史籍集覧]第十九冊所収の[信長公記]は、町田家伝来の古写本であり、完本として珍重すべきである。(同書より)太田 牛一著、中川太古訳、新人物往来社
小和田哲男著、NEW INTELLECT 19、PHP研究所
合戦は、それ自体、生死をかけた壮大なドラマであるが、本書は、ただ闘いの具体的な経過を記述するのではなく、[そのときトップはどう決断したか]、[そのときサブ・リーダーはどう考えたのか]をメイン・テーマに戦国合戦の謎にせまってみたい。武光誠著、PHP文庫、PHP研究所
戦国の三代英雄といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康である。・・・しかし、彼らの事績はあまりに知られすぎている。そこで、本書では別の観点から、いかにも戦国時代にふさわしい人物を選び出した。・・・彼らは、自分の夢のために精いっぱい、人生を駆け抜けた生き上手であった。そして、その滅び方も、死に上手というべき見事なものであった。(同書より)小和田哲男著、中公新書637、中央公論社
本書において私は、戦国武将本人の列伝ではなく、戦国武将をとりまく状況なり、組織を通してみることにより、戦国時代に生きた人々の全体像をとらえようと試みるつもりである。・・・戦国武将が・・・戦いに勝ち残ることができたのは、戦国武将本人の力量というよりも、それをとりまくブレーンたちの優劣がものをいったのではないかと考えるからである。(同書より)
桑田忠親著、中公新書610、中央公論社
本書は、まず、千利休七十年の生涯の事績を簡潔に叙述し、次に、その死因について、秀吉によって処罰されるに至った原因・動機と、その時代的背景とに分けて説明し、その謎の解明につとめてみた。そしてその次には、利休の芸術的業績をば、狭い意味では、茶人としての歴史的地位と、広い意味では、芸術家として後世に遺した業績について詳述してみた。(同書より)津田宗及著、『茶道古典全集 第八巻』所収、淡交社
津田宗及著、『茶道古典全集 第七巻』所収、淡交社
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立入左京亮入道隆佐著、『続群書類從 第20輯上 合戦部』所収、続群書類従完成会
辻善之助編『続史料大成 第40巻 多聞院日記三』、臨川書店
[多聞院日記]の内[天正八九十年記 別會所記]で、奈良興福寺別会五師(べちえのごし、三千衆徒集会の奉行)宗榮によるもの。[第27回企画展図録]、亀岡市文化資料館発行
『茶道古典全集 第七巻』『茶道古典全集 第八巻』所収、淡交社
堺の豪商天王寺屋津田宗達・宗及・宗凡による茶会記、[宗達茶湯日記自會記]・[宗及茶湯日記他會記]・[宗凡茶湯日記他會記]の総称。山科言継著、続群書類従完成会
山科言経著、『大日本古記録 第11 言経卿記一』、東京大学史料編纂所編纂、岩波書店
天正4(1576)-慶長13(1608)年の日記。天正5,6,8,9年分が欠落。言経卿記一には、天正4年正月~天正10年10月が収録竹中重門著(竹中重治の子) 『群書類従 第20輯 合戦部』所収、群書類従完成会
豊臣秀吉の伝記。原著者不詳、『続羣書類從 第二十輯上 合戦部』所収、続群書類従完成会
桑田忠親著、新人物往来社
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島津忠夫校注、新潮社
ルイス・フロイス著、柳谷武夫訳、東洋文庫、平凡社
林屋辰三郎著、『日本の歴史12 天下一統』、中央公論社
大村由己著、『続群書類從 第20輯下 合戦部』所収、続群書類従完成会
『別冊歴史読本1994年54号』所収、新人物往来社
谷口克広著、中公新書1453、中央公論社
信長の征服戦をあらためて見てみると、部将たちの活躍もさることながら、主君の本陣を固めた馬廻たちがすばらしい働きをしていることに気が付く。彼ら馬廻や小姓たちは、信長が一から育てた親衛隊なのである。・・・本書は信長に発掘され、その手足となって主君の天下統一のために献身的に活躍した大勢の近臣を主人公としている。(同書より)藤本正行著、JICC(ジック)出版局
歴史の研究に関しては["常識"ほどしまつにおえないものはない]という場合がある。歴史の常識、つまり定説は、それが有名なものほど、研究のテーマとして見過ごされてしまい、結果として研究全体を停滞させることがあるからである。そして、信長の軍事に関する定説が、まさにこれにあたるのである。(同書より)[は] |
勧修寺晴豊著、坪井九馬三・日下寛校訂、『続史料大成 第九巻』所収、臨川書店
加来耕三訳、新人物往来社
尾張国丹羽郡の前野氏による覚書を、織田信雄に仕えた小坂助六雄善の子吉田雄 (かつかね)が纏めたもの。寛永年間(1623-)に書き起こされたと推定される。前野氏は織田信雄・秀吉・佐々成政に仕えた。松田毅一、E・ヨリッセン著、中公新書707、中央公論社
[この小論には、ヨーロッパと、当日本国の人びととのあいだにおける風習上のいくつかの対照(すべきこと)や相違が、ごく簡潔にかつ要約して述べられている]で始まり、六百箇条以上にわたって・・・加我の風習上の相違点が列挙されている。小瀬甫庵著、吉田豊訳、教育社新書 原本現代訳7、教育社
小瀬甫庵の[太閤記]は・・・伝記としては歴史的事実についての不正確さが目につき、文学書としてみれば著者甫庵の道徳思想があらわに出すぎて説教臭が鼻につく。このため特に歴史学者からは[史料的価値に乏しい]として軽視されつづけてきたのである。だが[太閤記]はそのような否定的評価にもびくともしないだけの、しぶとい生命力を備えている。江戸時代から現代に至るまで、広く大衆に愛されてきた読み本、講談、歌舞伎、映画、小説などさまざまな"秀吉もの"は、その源流をたどっていくと、結局は甫庵のこの著作がタネ本となっていることが、それを証明している。(同書より)牧亟大夫著、『続群書類從 第20輯下 合戦部』所収、続群書類従完成会
天理図書館報、『ビブリア NO.57 昭和49年6月』所収
本能寺斗諍記事では、太閤記など流布公認の証言とあまりに違いすぎ、とても信じてはもらえまいと懸念しながら、それでも真実はこちらだ、とわが児孫にだけでも伝えたく、当惑そうにドキュメントする老戦士の語り口に、むしろ限りない好もしさを感じる。その他の戦の咄も、しどろもどろの悪文であるほど、生な臨場感が漂(う)。(前文より)立正大学日蓮教学研究所編、『日蓮宗宗学全書』所収、山喜房仏書林
高柳光壽著、学研M文庫、学習研究社
もしも大衆小説の面白味をこの書に望む人があるとすれば、そのような人々は失望されるに違いない。・・・この書には、加藤清正と四王天但馬守の組討ちというような記事はない。それらは全くフィクションであって、良質の史料には何一つとして見えてはいないからである。そういうようなものに興味を持つ人々は失望されるかも知れない。しかし真実がどんなものであったか、それを知りたいと望む人々は、満足というまででなくても、なるほどとうなずいて下さることと信ずる。(同書より)[ま] |
出水叢書、細川護貞監修、出水神社
江戸時代には、諸藩において、系図乃至家記の類を、あるいは幕府に提出するため、あるいは藩主、家臣の発意により、先祖以来の家系を尋ねて編述することが行われたのである。(中略)これらは伝記史料というべきものであるから、当時の古文書、古記録のおびただしい収集記載はあるものの、他方では巷間に流布している軍記の類も資料としており、厳密な史実を知るためには十分ではなく、またある場合には不適当であるといわなければならない。(同書解説より)[や~] |
『続群書類從 第20輯下 合戦部』所収、続群書類従完成会
黒川道祐著、新修 京都叢書 第三巻、光彩社
黒川道祐著、宗政五十諸校訂、岩波文庫 青484-1、岩波書店
安芸、浅野家に仕えた儒医で歴史家の黒川道祐(?-1691)のまとめた山城国の地誌。道祐は職を辞した後、洛中洛外とその近郊をたびたび歩いて地理を考察し、古記録、金石文を書き留め、その精密な探査に基づき、中国の地誌[大明一統志]を範として本書を著した。京都の地理、沿革、寺社、土産、古跡等が詳記される。(岩波文庫版カバーより)高橋康夫著、イメージ・リーディング叢書、平凡社
日本の美術第121号、至文堂
辻善之助編、『続史料大成 第42巻 多聞院日記五』所収、臨川書店
[変]の二年ほど後に整理された奈良興福寺蓮成院の朝乗・印尊・寛尊・懐算ら別会五師(べちえのごし、三千衆徒集会の奉行)の記録。