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資料 本能寺の変
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本能寺の変 ゆかりの地
][丹波口]
天正十年六月二日、明智勢、入京し本能寺を目指す-丹波口-
本能寺の変 ゆかりの地 位置関係図
本能寺の変 ゆかりの地 一覧
地名・史跡名 丹波口
丹波口から西を望む
撮影場所(Google マップ)
丹波口石柱から西を望んだところです。
写真奥方向が旧山陰道で、桂川からここまで30-40分程でしょうか。
天正十年六月二日未明、明智勢はここを矢印の方向へ進んだものと思われます。
丹波口石柱
撮影場所(Google マップ)
京と旧山陰道との出入り口に当たる丹波口は、七条千本付近にありました。
現在の中央卸売市場第一市場の南側に当たります。
ここから七条通(七条大路)となります。
天正十年六月二日未明に、明智勢はこの丹波口を通って京に入ったと考えられます。
碑には、
是より洛中荷馬口付のもの乗へからず
これより京市中(洛中)、荷馬は(乗っているようであれば降りて)手綱(たづな)を取り、(市中で)乗ってはならない
とあります。
[乗ってはならない]のは、あくまでも[荷馬(荷物を運ぶ牛馬)]で[口付(口取り、牛馬の手綱を引く人)]ということなのでしょう、ね。
石柱の右側面には、
平成二十年五月吉日
京都五月村クラブ建立
とあります。
写真は、建立されて五カ月後、ということになります。
丹波口から東を望む
撮影場所(Google マップ)
丹波口石柱から東を望んだところです。
ここから洛中で、七条大路(七条通)となります。
正面に見える陸橋は山陰本線で、左手へ800m程進むと丹波口駅があります。