本能寺・妙覚寺襲撃の謎 目次



本能寺・妙覚寺襲撃の謎 その3

<丹波勢が本能寺を襲撃する瞬間>

"人数の中より馬乗り二人いで申し候、誰ぞと存じ候えば、斎藤内蔵助殿子息、小姓共に二人本能寺の方へ乗り申され候(中略)それ二人は北の方へ越し申し候。我等は南堀ぎわへ東向きに参り候、(中略)三宅弥平次様、幌の衆二人北の方より入り(申し候)"(『ノート』 7ページ 同文)

騎馬武者
かも よしひさ著
「雑兵物語」
(講談社、1980年11月刊)
騎馬武者
これが「本能寺の変」勃発の瞬間。
本能寺へ真っ先に討ち入っていったのが本城某。
その彼は、斎藤内蔵助の息子・三宅弥平次らが"パッカパッカ"と馬に乗って軍勢を先導していく後ろ姿を見ていたように読みとれる。
想像をたくましくすると、
「本城某は軍勢の先頭部分を歩いていた。
すると後方から二人の騎馬武者が追いついてきた。
"おや、誰かな?(誰やねん?丹波方面の言葉ではどう言うんですか?)"と目をこらしてよく見ると斎藤内蔵助殿の息子 『ノート』 136ページ と小姓の二人だった。
本城が本能寺近くに到着するやその二人の武将と三宅弥平次らが寺の北門へ回り込んで行く後ろ姿が見えた(本城某は南門から討ち入っていった)

本能寺(上杉本洛中洛外図部分)
岩波書店「標柱 洛中洛外屏風 上杉本」(1983年刊)
(上杉隆憲氏所蔵)
本能寺

<余談>

「惣右衛門覚書」に"ネズミも居申さず候"とあります。
これは"どんな家屋敷を見ても必ずネズミを見かけるものだが、ここにはネズミが一匹もいない!"という驚きを示しているのではないか? と思いました。
本能寺の東西には川が流れていた。四方を堀で囲まれていた。
ネズミたちにとって生息しやすい場所といえるでしよう(当時の御公家さんの日記に"ネズミ捕らぬ猫"と書いた記事がありました)

ネズミ
ネズミ
なぜいなかったのか?
ネズミが一匹でも信長の目に止まろうものなら信長屋敷(本能寺)管理に携わる責任者は大目玉を食らったのでは無かろうか?
ネズミの侵入を防ぐ様々な工夫がこらされていたのでは無かろうかと思うんです。
信長は潔癖性でとってもきれい好きでしたから。

(H9.10.19)



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