天正十年六月二日戊子(1582年6月21日)払暁、明智光秀が本能寺にあった織田信長を急襲、これを倒したという事変を「本能寺の変」と呼んでいます。
が、歴史上の大事件でありながら、謎が多く、光秀が首謀者であることに異議を唱える人さえも少なくありません。
とりわけ、光秀が決起した理由については古くから諸説があって、今でも賑やかな論争が続いています。
その理由の一つが、光秀の人物像を捉え切れないことにあることは間違いありません。
実は、それも無理からぬことなのです。光秀に関する史料は非常に乏しく、わけても、信長に仕えるまでの足取りについては、全くと言っていいほど明らかにされていません。
そこで、「本能寺の変」にかかわる資料を集め、まとめてみました。
まだまだ不完全だとは思いますが、この資料が、興味を持たれている方の参考になれば幸いです。
参考にさせていただいた数多くの資料(参考資料のページに載せてあります)の著者・出版社及び関係者の方々に、本来なら、直接お礼を申し上げなければならないとは思っているのですが、とりあえずは、この場を借りてお礼を申し上げます。
誤りや抜けているところがあれば、是非ご指摘いただきますようお願い申し上げます。