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その11 <襲撃主体について>
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襲撃主体として「組み合わせ」的に改めて考えてみます。 検討対象は次の通り。
"内蔵助 おぬしは信長様を、弥平次 おぬしは信忠を討ち取れ" と最小限の役割分担が出来たのでは無かろうか?
しかも理性を失い衝動に任せて軍勢を動かした。これは私が採る推定。 だが、依然として謎。私にも判らないのです。 「本能寺の変」の「本当の謎」はここにあるのだと思う。
みなさんはどのように考えられますか?
「本能寺の変」は丹波武士団による検地反対一揆である、などと大上段に振りかぶった大見得を切ったような格好になりました。
"もうちょっと社会史学的に考えてみようよ!"
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![]() 侍
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私の父は東京都奥多摩郡檜原村(ひのはらむら)の出身です。 ちょっと前まではとっても辺鄙な村でした。 土地の人でないと入り込むのが困難と思われるほどの僻地でした。 "東京のチベット"、"お医者さんのいない村"としてテレビなどで紹介されていたくらいです。 先日(10月30日)、父が「檜原村史」という分厚い本(1120ページ)を読んでいたので、ちょっと借りて目を通してみました。
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なんと、こんな辺鄙な村においても、慶長三年(1598)に検地が行われているのです。 詳しいデータが残っているのです。大変驚きました。 もしこのときの検地施行に対し"抵抗する動きがあった"という記事があれば"我が意を得たり"となったのでしょうが、そこまでは書いてありませんでした。
けれどもこの検地に対する抵抗はあったのです。
今の私には郷土史的な物の見方、郷土史的な感じ方が欠けています。
(H9.11.2)
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