六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国の皆道なり。左へ下れば、京へ出づる道なり。爰(ここ)を左へ下り、桂川を打ち越え、漸く夜も明け方に罷りなり候。
[信長公記、天正十年六月一日条]
六月一日、夜に入り、老の山へ上り、(下って沓掛に至り、そこを)右へ行けば山崎天神馬場、そこから摂津の国にいたる街道である、左へ下れば京に至る道である、ここを左へ進み、桂川を越えて、ようやく夜も明ける頃になった
山さきのかたへとこゝろざし候へバ、おもひのほか、京へと申し候。我等ハ、其折ふし、いへやすさま御じやうらくにて候まゝ、いゑやすさまとばかり存候。ほんのふ寺といふところもしり不申候。
[本城惣右衛門自筆覚書]
山崎(京都府乙訓郡)に向かって進んでおりましたが、意外にも、京へ(向かう)との指示がありました。我等は、その頃、(徳川)家康様が御上洛中とのことでしたので、(討つ相手は)家康様とばかり思っておりました。本能寺がどこにあるかも知りませんでした。