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資料 本能寺の変
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本能寺の変 ゆかりの地
][桂]
天正十年六月一日、明智勢、亀山を発つ-桂-
本能寺の変 ゆかりの地 位置関係図
本能寺の変 ゆかりの地 一覧
桂橋西詰から京都市街方面を望む
撮影場所(Google マップ)
旧山陰道(国道142号線)の桂橋西詰から東(京都市街方面)を望んだ写真です。
いよいよ、[桂川を打ち越え]京に入ります。
[漸(ようや)く夜も明け方に罷りな]った頃です。
六月朔日、夜に入り、老の山へ上り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国の皆道なり。左へ下れば、京へ出づる道なり。爰(ここ)を左へ下り、桂川を打ち越え、漸く夜も明け方に罷りなり候。
[信長公記、天正十年六月一日条]
六月一日、夜に入り、老の山へ上り、(下って沓掛に至り、そこを)右へ行けば山崎天神馬場、そこから摂津の国にいたる街道である、左へ下れば京に至る道である、ここを左へ進み、桂川を越えて、ようやく夜も明ける頃になった
桂橋から愛宕山を望む
撮影場所(Google マップ)
桂橋中腹から、北西方向に愛宕山が見えます。
光秀は、本能寺襲撃の三日前、愛宕神社に参詣しています。
廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣、一宿参籠致し、惟任日向守心持御座候や、神前へ参り、太郎坊の御前にて、二度三度まで籤を取りたる由、申候。
[信長公記、天正十年五月廿七日条]
(前日廿六日、亀山城に到着した光秀は)翌廿七日、愛宕山に上り、愛宕神社に参詣して宿泊した。何か思うところがあったのであろうか、神前に参り、太郎坊(愛宕山に住んでいたという大天狗)の前で、二度三度と御神籤を引いたという
廿八日、西坊にて連歌興行、
発句 惟任日向守
ときは今あめが下(した)知る五月(さつき)哉 光秀
(中略)
五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
[信長公記、天正十年五月廿八日条]
廿八日、西坊で連歌を興行した。発句は光秀で、[ときは今あめが下(した)知る五月(さつき)哉]と詠んだ。(中略)同日、亀山城に戻った
愛宕百韻
この橋(川)を渡ると、いよいよ京の入り口、丹波口です。
本能寺の変 ゆかりの地-丹波口-