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資料 本能寺の変
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本能寺の変 ゆかりの地
][坂本城本丸跡碑]
天正十年六月十三日、明智秀満、敗報に接し安土城を抜け坂本城に入る-坂本城本丸跡碑-
本能寺の変 ゆかりの地 位置関係図
本能寺の変 ゆかりの地 一覧
坂本城縄張図
地名・史跡名 坂本城
坂本城本丸跡碑
撮影場所(Google マップ)
東南寺から東へ100m程進むと161号線に出ます。その道路を挟んだ向かいにあります。
場所は、当時の本丸辺りになります。
碑には、
坂本城本丸跡
坂本城は、元亀2年(1571年)織田信長による山門(延暦寺)焼き討ちの後、明智光秀により東南寺川河口に築かれた水城としてよく知られている。
天正14年(1586年)大津城築城までの間栄えた城であり、当地の発掘調査ではじめて、坂本城本丸の石垣や石組井戸・礎石建物等が発見された。
大津市教育委員会
とあります。