本能寺・妙覚寺襲撃の謎 その10
<総括(注釈なしのシナリオ、たたき台)>
|
天正8年より、山城・大和・播磨・和泉・丹後と信長が征服していった国々では次々に「城割り・検地」が施行されていった。
施行されるたびに地域的に恐慌状態を催していった。
反対一揆も起こった。
様々な抵抗が陰に陽にうごめいた。
丹波へも「城割り・検地」施行の波が押し寄せていった。これに抵抗する丹波の国人もあらわれている。
彼ら国人層の不安・危機感は隠しようもない限界に来ていた。不満が渦巻いていた。
こうした彼らの不安・危機感を最も感じていたのは明智家臣団の上層部分だった。
抵抗する国人層諸氏からの突き上げを斎藤内蔵助等は受けていた。
明智家臣団は自己の内に時限爆弾を抱えているようなものだった。
いつそれが"検地反対一揆"として爆発するか予断を許さぬ状況になっていた。
一方、内蔵助をはじめ光秀の家臣団(上層部分)は旧足利幕府に深い関係を持っていたものが多かった。
彼等自身、信長のやり方に付いていけないものを多く感じていた。
中国方面へ出陣する当日、光秀は亀山城にいなかった。
"中国へ出陣する"と号令をかける直前、斎藤内蔵助と三宅弥平次は密議をこらした。
"なんとかやれる"、"やってしまおう" ただこれだけだった。
斎藤内蔵助は
老ノ坂へ至ったとき、
沓掛に至ったとき、休憩をとった。再び行軍を始めるとき、
桂川を越えたとき、
"上様の命により三河の家康様を成敗する。これよりその宿所本能寺へ向かう"と目的を告げた。
本能寺へは三宅弥平次・斎藤内蔵助の息子が先導していった。
彼らは本能寺北門から襲撃した。斎藤内蔵助は南門から攻めた。
内蔵助らは雑兵らに"上様(信長)を誅殺する"と本当のことを言っていなかったので少なからぬ心配があった。
けれども、彼らを突入させればなんとかなる、なんとかなるだろうと自分に言い聞かせた。
あの信長を殺すだけでいいんだ。ただそれだけが彼らを突き動かしていた。
"だが、情報は得ているものの、本当に信長はこの寺に宿しているのだろうか?"と利三は不安に駆られた。
(ウ~ン、 クソッ、何やってるんだ!・・・・・・)
兵を突入させてから随分と時間がたつのに未だ信長を探し出せずにいた。
利三らは焦った。
もし信長がこの寺にいなかったら・・・内蔵助は恐怖した。
そんな中、「ホンジョウ」なんとかと名乗る若い精悍な雑兵が一人の女人を利三の前に引き出してきた。
そしてその女人の口から信長がたしかにこの寺にいたことを聞き出すことができた。
信長が本能寺にいたことの確証を得たのである。
よし! 一抹の不安はあったが利三は箝口令を解き、雑兵を含め明智勢全軍に対しこの襲撃が上様を撃つことにあったことを周知させた。
依然として信長の遺体を発見できぬままであったが、見切り発車的に軍勢を信忠が宿す妙覚寺へ向かわせた。
すでに信忠は妙覚寺東隣にある二条御所へ避難していた。
内蔵助らは信忠が洛北へ逃走しなかったことを神仏に感謝した。
(H9.10.26)
|