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資料 本能寺の変
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本能寺の変 ゆかりの地
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本能寺の変その後-西教寺-
本能寺の変 ゆかりの地 位置関係図
本能寺の変 ゆかりの地 一覧
西教寺 -天台真盛宗総本山-(公式ウェブサイト)
西教寺総門
撮影場所(Google マップ)
この門は、明智光秀が築城した坂本城の城門を移築したものとのことです。
とても大きく立派な門で、通りの反対側まで引かないと全景を収められない程でした。
この総門の左手に石柱があり、そこには[明智光秀公と一族の菩提寺]とあります。
この門をぐると、150m程のまっすぐな参道が伸びています。ゆるやかな上り坂です。
西教寺境内の図が
坂本観光協会Yahoo!ブログ
にあります。下調べの時に、参考にさせていただきました。
西教寺寺標石柱
撮影場所(Google マップ)
参道を上り切ると、正面に勅使門があります。その左手に、この石柱はあります。
石柱には[天台宗真盛派本山西教寺]とあります。
西教寺由緒書
撮影場所(Google マップ)
寺標石柱の左手にこの由緒書があります。
それには、
西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聰のために開創された寺で、推古天皇の二十六年(六一八)に大窪山の号をたまわり、天智天皇の八年(六六九)に西教寺の号を下賜されたと伝えられている。
寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧都が念佛道場とした。その後、比叡山で修行された真盛上人が文明十八年(一四八六)入寺し、不断念佛の根本道場として、西教寺を再興された。
明治十一年(一八七八)明治政府によって別派独立が公許、[天台宗真盛派]の本山となった。
昭和十六年(一九四一)に天台三派合同となったが、終戦とともに、昭和二十一年(一九四六)に天台宗三派、延暦寺(山門)三井寺(寺門)西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を[天台真盛宗]と公称して独立、今日に至っている。
この寺標石柱は明治十一年(一八七八)に建立されたものである。
とあります。
西教寺本堂
撮影場所(Google マップ)
西教寺寺標石柱を過ぎて、右に折れ、階段を上ると、視界が開け、右手に本堂があります。
大きな本堂です。
西教寺鐘楼
撮影場所(Google マップ)
本堂の右手にこの鐘楼があります。
写真右手に見えるのは本堂です。
明智光秀が寄進した坂本城の陣鐘が収められているそうですが、下からは見えませんでした。
鐘楼は大津市の指定文化財に指定されています。
西教寺鐘楼解説板
撮影場所(Google マップ)
鐘楼の傍にこの解説板があります。それには、
大津市指定文化財
建造物
西教寺鐘楼(さいきょうじしょうろう) 一棟
(大津市坂本五丁目)
この鐘楼(しょうろう)は、重要文化財の本堂の東側に、棟(むね)を南北に向けて建てられています。構造は桁行三間(けたゆきさんげん)、梁間二間(はりまにけん)、袴腰付(はかまごしつき)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)です。
総檜造(そうひのきづくり)で、上層は軒(のき)の出が深く重量感があり、それに呼応して下層の袴腰(はかまごし)は裾(すそ)が広く安定感があります。蟇股(かえるまた)に配された猿の彫刻や籠彫(かごぼり)の木鼻(きばな)など、細部にわたって精巧(せいこう)な意匠(いしょう)が施(ほどこ)されています。
内部に残された棟札(むなふだ)や高欄(こうらん)の擬宝珠(ぎぼうし)の刻銘(こくめい)から、本堂と同系の中嶋治良左衛門春道を棟梁(とうりょう)として、天保二(一八三一)年に建てられたことが知られます。
昭和六三(一九八八)年十一月十一日指定)
大津市教育委員会
Cultural Asset Designated by Otsu City
(Building)
Saikyoji Temple, Belfry
とあります。
文中で使われている以下の用語は、[
辞典・用語
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日本史用語
]に収録してあります。
[
桁行
]
[梁間=
梁行
]
[
入母屋造
]
[
棟札
]
上記以外の文中の用語を簡単に解説します。
[袴腰]は、男用の袴の腰の部分を指し、台形の板を入れることから、台形の意味に用いられる、こでは、建物の裾が広がった形のこと。
[蟇股]は、蛙が股を広げたような形のことで、社寺建築などで、妻(入母屋造や切妻造の建物の棟と直角の位置にある三角形の部分)の部分に用いられる補強材。
[高欄]は、橋や廊下などの両側(或いは片側)に作られる手すり。
[擬宝珠]は、橋や廊下などの手すり(高欄)の両端または要所に作られる柱の頭部の飾り。タマネギのような形をしている。[ぎぼし]と読む。
西教寺から琵琶湖を望む
撮影場所(Google マップ)
宗祖大師殿裏手から琵琶湖を望んだところです。
とても良い眺めでした。
写真中央の対岸に見える小高い山は、その美しさから近江富士とも呼ばれる三上山です。
安土は、この三上山の左手方向になります。