次の日、廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣、一宿参籠致し、惟任日向守心持御座候や、神前へ参り、太郎坊の御前にて、二度三度まで籤を取りたる由、申候。
[信長公記、天正十年五月廿七日条]
天正十年五月二七日、光秀は亀山より愛宕山(愛宕神社)へ仏詣し、一泊した。光秀は、何か心に期すところがあったのだろうか、神前に参り、太郎坊の前で二度三度と御籤を引いたという。
廿八日、西坊にて連歌興行、
発句 惟任日向守
ときは今あめが下(した)知る五月(さつき)哉 光秀
水上(みなかみ)まさる庭のまつ山 西坊(西坊行祐)
花落つる流れの末を関とめて 紹巴(里村紹巴)
か様に、百韵(いん)仕り、神前に籠(こめ)おき、
五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。
[信長公記、天正十年五月廿八日条]
天正十年五月二八日、西坊で連歌会を張行した。発句(最初の一句)は光秀であった。
(句部分略
愛宕百韻)
こうして百首を詠み、これを神前に納めて、五月二八日に亀山城に戻った。