あ
か
さ
た
な
は
ま
や~
(西軍)
平塚為広 []
(東軍[豊臣])
福島正則 [ふくしま まさのり] 1561-1624.7.13
- 幼少から秀吉に仕え、「賤ケ岳七本槍」の一人。
- 「役」では、松平忠吉・加藤嘉明・田中吉政隊と共に宇喜多秀家隊を攻撃。正午過ぎ、小早川秀秋の寝返りによって総崩れとなった宇喜多秀家隊を追撃する。
- 「役」後は、安芸四十九万石を得る。
- 家康と豊臣家の関係修復に奔走するが、逆に豊臣家との関係を疑われることとなり、江戸城留守居役を命ぜられる。
(東軍[豊臣])
古田重勝 []
(東軍[豊臣])
細川ガラシア [ほそかわ がらしあ] 1563-1600
- 明智光秀の娘。信長の媒酌で、細川忠興と結婚。
- 「役」では、忠興が出陣中、石田三成の手勢に囲まれるが、人質となることを恐れ自殺。
(東軍[豊臣])
細川忠興・長岡三斎・長岡与壱 [ほそかわ ただおき・ながおか さんさい・ながおか よいち] 1563-1645
- 細川幽斎の嫡男。信長の媒酌で、明智光秀の娘(後のガラシア)と結婚。
- 父と共に、信長に仕え、本能寺の変で信長が倒れると、秀吉に属した。秀吉の死後は、家康に近づく。
- 「役」では、黒田長政・加藤嘉明隊などと、三成隊を攻撃する。
- 「役」後は、豊前小倉39万石を得る。
(東軍[豊臣])
細川幽斎・藤孝 [ほそかわ ゆうさい・ふじたか] -1610.8.20
- 細川忠興の父。
- 足利義昭に仕え、後、信長に仕える。本能寺の変で信長が倒れると、秀吉に属し、秀吉の死後は、家康に近づく。
- 「役」では、丹後田辺城を守備した。
(東軍[徳川])
本多忠勝 [ほんだ ただかず] 1548-1610
- 徳川四天王の一人。五十数度の合戦に加わり、数々の戦功をあげるが、その間に傷を一度も受けなかったという逸話が残っている。
- 「役」後は、井伊直政・榊原康政と諸将を統括し、かつ天下の政事を議すことを命じられる。
(東軍[徳川])
本多正純 [ほんだ まさずみ] 1565-1627
- 本多正信の嫡男。父と同様に吏僚的才能に優れていたといわれる。
- 「冬」では、大阪城の総濠を埋めるという講和の条件を、総濠は内濠までも含むとして埋め立ててしまったのは、正純の献策であったとされる。