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か
さ
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な
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ま
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前田利家 [まえだ としいえ] 天文7-慶長4年閏3月3日壬子(1599年4月27日)
- 信長に仕え、秀吉とも交誼を結び、互いに娘を嫁がせるなど、深い関係にあり、秀吉の最も信頼していた人物といわれる。豊臣政権下で五大老の一人。
- 秀吉の遺命によって、慶長4年1月10日辛卯(1599年2月5日)、大坂城に移り、秀頼の補佐役を勤めるかたわら、武功派らの軽挙を抑え、家康の専横を牽制していたが、二ヶ月後に没する。これによって、家康の専横が目立つようになる。
- 後の前田家は前田利家が継ぐ。
(東軍[豊臣])
前田利長 []
(西軍)
増田長盛 [ました ながもり] 天文14-慶長20年5月27日癸酉(1615年6月23日)
- 豊臣政権下で五奉行の一人。
- 「役」では、大坂城留守居役を務めるが、早くから家康に接近し、西軍の情報を伝えていたとされる。
- 「役」後は、領地を没収の上で高野山に追われ、次いで武蔵国岩槻に流される。
(東軍[徳川])
松平忠吉 []
(西軍)
毛利輝元 [もうり てるもと] (1553)-(1625).4.27
- 毛利隆元(元就の長男)の子。天正10年(1582)六月、備中高松城を攻めた秀吉と和睦、後、秀吉に属し、豊臣政権下では五大老の一人となる。
- 「役」では、三成らに推され西軍の総大将となる。
- 「役」後は、家康は毛利家を改易することを一旦は決定したが、同族の吉川広家が毛利の存続を上申したため、周防・長門37万石が与えられた。
(西軍)
毛利秀元 []